岩櫃城「潜龍院」跡は、武田勝頼再起の拠点になるはずだった!


 昨日の記事で「報道ステーション、本日生出演」宣言は、エイプリルフールの「うそ」でした。実行委員でもひっかかる者がおり、してやったり。情報戦を仕掛けるのも忍びの術ですからね…。

 さて、写真は東吾妻町郷原の古谷地区の「潜龍院」跡(バックは岩櫃山)。地域おこしの任意団体「あざみの会」さんが一生懸命整備しているので、山の中に忽然と現れる拓けた空間。何も知らなければ宇宙人とかの秘密基地跡かと思ってしまいます。織田の甲州征伐時、真田昌幸が武田勝頼に岩櫃まで逃げてくれば、守ってみせると言ったという、まさにその場所です。提案が受け入れられた昌幸は甲斐から急いで戻り、武田勝頼を迎え入れるために潜龍院を急造しました。しかし、勝頼は家臣の裏切りにあい、ここに来ることなく、天目山で自害。岩櫃が甲斐武田再挙の地となる物語は歴史の風雲になかに、夢のように一瞬で消えてなくなりました。「もしここに、勝頼が逃げて来ていたら…」武田は、真田は、岩櫃は、吾妻は、上州は、日本は、いったいどうなっていたのか…。そこにはまったく違う歴史があったはず。

 そのあたりを勝手気ままに想像して、「やっぱり真田はかっこいいね」「岩櫃はすげーな」とか、なんだかんだ言って、みんなで楽しむ。それが「岩櫃城 忍びの乱」の目的のひとつです。


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